「ヒーラー・ガール」8話 Cパートはなぜ賛否両論の声にさらされたのか

『ヒーラー・ガール』8話Cパートについての分析と考察。

 

Cパートの話に入る前にまず8話全体のあらすじをおさらいしておきます。

 

メイドの葵さんに家事全般を任せていた玲美は、かな、響の二人が遊びに来たことをきっかけに自分で家事をしてみることを決意。葵さんのしている仕事の大変さを実感する玲美だったが、部屋で見つけた手紙から葵さんが玲美のそばにいるために留学の誘いを断っていることを知る。過去に葵さんにヒーラーになるという自分の夢を応援してもらった経験のある玲美は、葵さんにも夢を叶えて欲しいという気持ちのあまり、クビ宣言をして家から追い出してしまう。

数日後、かなと響に協力してもらって葵さんに料理を振舞うことにした玲美。自分はもう一人でも大丈夫、とアピールするが、葵さんの頑なな態度は変わらず。さらに説得を続ける。

私もあの頃の私じゃない。師匠の下で修業を始めて、音声診療医補助師にもなった。同じ夢を追う仲間も出来た。だから、私はもう寂しくない。今度はあなたの番。あなたの夢を私は応援する。だから、決してあきらめないで。

玲美の説得に折れた葵さんはついに留学を決意、お互いに別れの悲しみを抱えながらも、別々の道を歩み始める…。

ここまでがBパート。今作にしては珍しくかなり重たい、シリアスな話題を扱ったエピソードでした。

そして問題のCパートですが、葵さんが師事するピアノの先生が東京音大で教鞭をとることになり、急遽留学がキャンセルされて日本に帰国。また五城家で玲美と一緒に暮らすことになる…という流れです。

 

では本題。

何故このCパートに対して賛否両論があったのか。

それは視聴者ごとの作品の見方の違いによるものだと思っています。

 

玲美の心情

まず玲美の心情について考えてみましょう。玲美にとって一番幸せなのは

・葵さんが有名ピアニストのもとで学ぶことが出来て

・かつ今まで通り一緒に暮らすことが出来る

ことです。8話Cパートの展開はこれを満たしています。玲美からすればこれ以上のハッピーエンドはありません。キャラクターの気持ちを重視していた人は、Cパートに対して満足感を覚えたことでしょう。

 

視聴者心理

ただ、キャラクターが幸せになれば視聴者も幸せかと言えば、必ずしもそういうわけではありません。人は時に悲劇すらエンタメとして楽しむものです。8話に関しても、一番の見せ場はED前、二人がそれぞれに別れの涙を流す場面であり、ここで得られる感動は今作をエンタメとして語る上で非常に重要な要素だと言うことができます。

8話は今作の中でも珍しく重たいシリアス回だったと先ほど述べましたが、これは8話がその話の重さに見合うだけのカタルシスを提供すべき回であったということの裏返しでもあります。そしてそれはクライマックスに視聴者が「玲美と葵さんが離れ離れになるという事実」に対して「感動」することによって達成されるわけです。制作側もBパートまでは間違いなくこれを意図して作品を作っていたものと思います。

それを踏まえてもう一度Cパートを見てみると、Cパートはいわば「玲美と葵さんが離れ離れになるという事実」をなかったことにするものでした。必然的にそこから生まれる「感動」もかき消されてしまっていました。

シリアスで重苦しい展開に耐えて漸く得られたカタルシスがなかったことにされたのですから、「感動を返せ」となるのも当然の話です。この点に関して、8話は批判の声を免れないものと思います。わざわざ視聴者に感動を提供する作りをしておいて自分からそれを否定しにかかるという、視聴者心理を逆なでするような構造となってしまっているのです。

 

余談ですが、同じように「シリアス→どんでん返し」の構造を持つエピソードとして、『宇宙よりも遠い場所』6話が挙げられます。*1

ただその性質は大きく異なるものです。よりもい6話では、パスポートを失くしたことをきっかけに報瀬と日向の衝突が生じるという形で、間接的に感動的なシークエンスが作り出されていました。故にパスポートが再び見つかってもシークエンスそのものに何ら影響はなく、視聴者の感動に傷がつくこともありません。

一方ヒーラー・ガール8話では、”玲美と葵さんが離れ離れになる”という事実が直接的に感動を作り出しています。ですからその事実を覆してしまうと、視聴者はその時点で感動の根拠を失ってしまうのです。感動の根拠を失うというのは、つまり何に感動していたのか分からなくなる、作品に感動を否定されてしまうということでもあり、この時点で感動の余韻に浸っていた視聴者心理は行き場を失ってしまいます。結果として茶番を見せられたような、狐につままれたような、馬鹿にされたような、何かそういう煮え切らない気持ちだけが残るのです。これでカタルシスを得るのは難しいでしょう。

 

物語の構造

また1つの意見として、Cパートの内容は重要ではないというものがあります。

8話一人原画の向川原憲さんのツイートですが、8話の物語の本質は、玲美と葵さんが相互依存の関係性から脱却することにあって、葵さんが五城家に戻ってくるかどうかは重要ではないとの主張です。これに類する意見…つまりCパート以前の部分が真に重要なのだ、という意見は他にもいくつか見られました。

実際この意見は正しいように思います。今回の物語で描きたかったことは玲美が葵さんに依存した生活から脱却すること、そして葵さんが玲美を守ることより夢を叶えることを優先すると決断することであって、Cパートの内容はあくまでも付随する話にすぎません。

しかしこれは、視聴者心理とは独立した問題です。”物語として出来がいい”ことと、”視聴者が満足感を覚える”ことは必ずしもイコールではありません。いくら8話が物語的には成立していて、Cパートが肯定できるものだとしても、それは視聴者心理の問題とは全く関係のない話です。たとえ重要でない部分だからといって、Cパートが視聴者心理に与える影響が無視できるわけでもなく、逆に視聴者心理が損なわれたからといって、Cパートの全てを批判することもまたできないわけです。Cパートの内容が重要でないことと、視聴者心理の問題とは完全に独立していて、互いが互いを否定しうるものではないのです。

 

以上を纏めると、8話Cパートはあくまでもエピソードの主題に付随する要素であり、かつキャラクター(特に玲美)の心情を考えれば最適解に近いものでした。

一方、8話全体を通して見ると、シリアスな展開から得られたカタルシスを否定してしまうものであり、この点批判されても仕方のない作りとなっていました。

つまりCパートには元々良さも欠陥も、肯定できる点も否定できる点も存在しており、視聴者の見方次第でその重みづけが異なったために、賛否両論が起こったものと結論付けられます。玲美の幸せを重視する視聴者であれば、Cパートの展開にも十分満足できたでしょうし、逆にシリアスから得られる感動を重視していた視聴者にとっては、Cパートは悪手以外の何物でもなかったわけです。感動を否定されてもなおそれを上回るだけの満足感を感じられた視聴者はCパートを擁護し、感動を否定されたことによってカタルシスを得られなくなった視聴者はCパートを批判したのです。作品の見方は人それぞれであって、過度な擁護も過度な批判も、どちらも成立しないことは肝に銘じておく必要があります(これは自戒でもありますが)。

 

 

さらに話を続けます。

これまで『ヒーラー・ガール』8話Cパートについて、実際に書かれた脚本をもとに考察してきましたが、今度は機能の面から分析してみます。

 

Cパートの機能を一言で言えば、「玲美に前を向かせること」です。玲美がいつまでも落ち込んでいては作品の進行に差し障るから、出来るだけ早く玲美を立ち直らせたい。これはこの作品の今後のことを考えても、最低限充足されるべき要素であると言えます。

そしてそのために実際にとられた手段が、「葵さんを留学から帰国させて、また五城家で働いてもらうことにする」だったわけです。

とはいえ玲美を立ち直らせるための方法がこれしかないかと言えば、当然そんなことはありません。玲美が葵さんがいない悲しみを克服して、また前を向けるような脚本を作ればいいだけの話です。

離れ離れになったという事実は覆さず、玲美が葵さんに依存した生活から離れて、葵さんのいない悲しみを乗り越えて、一歩成長する姿を描く。葵さんが戻ってきてインスタントに悲しみが解決されるよりは、ずっと分かりやすく玲美の成長・依存からの脱却を印象付けられたはずですし、別れの感動を否定せず、十分なカタルシスが得られる形で物語が構築できたものと思われます。

それでも今作では葵さんを帰国させました。なぜでしょうか。

 

1つは玲美の心情を重視したものと思われます。前述のとおり、玲美にとって一番幸せな結末は葵さんが戻ってくることでした。玲美の幸せを願うのであれば、さらなる試練を与えるよりは、もう十分試練は受けたということにして幸せにしてやろうと考えるのは自然なことです。

1つには尺不足が原因だったとも考えられます。実際にCパートの3分にも満たない尺で、玲美が悲しみから立ち直るまでの流れを論理的に描くことは困難を極めるでしょう。尺がないせいで中途半端なままこの話数が終わってしまうなら、いっそインスタントに葵さんを帰して解決してしまおうと、そう思ったのかもしれません。

ならば次回に続く形をとるわけにはいかなかったのか、と疑問が残りそうなところですが、そこは今作の構成事情で説明できます。

今作は1話完結のエピソードを積み重ねるタイプの作品です。これまで話数を跨いだエピソードは6,7話の文化祭編しかなく、それですらその2話内で綺麗に完結しています。1話ごとにエピソードの趣向をガラリと変えて、作品全体を貫く縦軸をあまり明瞭に打ち出さない。元々そういう作品であったからこそ、8話内で全てを解決してしまうことを重視したと考えられます。

同じように縦軸が明瞭でなく、1話完結を積み上げた作品としては『ゾンビランドサガ』(1期)や『プリンセス・プリンシパル』などが代表例として挙げられるのではないでしょうか。前者は中盤に出来の良いキャラ掘り下げ回を並べる構成をとって縦軸に頼らない面白さを確立してしましたし、後者に至っては時系列をシャッフルしてしまえるほどに縦軸が曖昧な作品でした*2。また『宇宙よりも遠い場所』は同じように1話完結を積み重ねながらも、時系列に沿った縦軸が明瞭な作品であり、構成の面からは対照的な作品と言えます。

 

以上長々と書いてきましたが最後にもう一つだけ。

ヒーラー・ガールは1話完結を重視する作品であるために、尺不足の問題を解決できなかったという話でした。ではそれを無視して次回に続く形をとったらどうなったでしょうか。

本編では玲美はもう一人でも大丈夫とアピールして、葵さんを送り出していました。実際は大丈夫じゃなかったわけですが、言葉を額面通りに受け取って本当に大丈夫だったと想定しても、十分視聴者を納得させることは出来そうです。

であれば次の回の冒頭は既に玲美が立ち直っているところから始めて、立ち直るまでの話は軽めの過去回想で回収するのはどうでしょうか。ギャグ寄りの処理をすることになるでしょうが、むしろそのくらいが今作の元々の空気感からしても丁度いい気がします。

また先ほど述べたように、Cパートの話はあくまでもおまけであり、描くべきことはBパートまでで描けているわけで、玲美を立ち直らせる過程なんて言ってしまえばどうとでもなるのですよね。だからこそ視聴者の気持ちをわざわざ逆なでするような描きをする必要はどこにもなかったんじゃないかと思うのですが…まあこれもまた人の感じ方次第でしょうか。

何にせよ、色々と賛否両論あるのも、Bパート以前の描きが素晴らしかったからこそ。今作が高いポテンシャルと挑戦心をもった、とても魅力的なオリジナルアニメであることには何ら変わりありません。今後の話数にも変わらず期待していきたいものです。

 

 

*1:日向がパスポートを失くしたことをきっかけに、報瀬と衝突。なんやかんやとすれ違いながらも、最後は報瀬の啖呵で日向の分厚い心の壁が少し崩されて感動の締め…かと思いきや、実は日向のパスポートは報瀬が持っていたと判明して、きっちりオチがつく。

*2:余談ですが、この手の作品は終盤の脚本に苦労する印象があり、実際ゾンビランドサガは10話11話で一旦評価を落とす格好となっていますし、プリンセス・プリンシパルもラスト2話だけはシリーズ構成の大河内さんではなく別の脚本家(檜垣亮さん)に脚本を任せています。ヒーラー・ガールも終盤の展開には注目したいところです。