「ルリドラゴン」(読切版)に感じた日常系との違い

先日ジャンプ本誌で連載が開始された「ルリドラゴン」。巷では「まちカドまぞく」や「ふらいんぐうぃっち」に似てるとの声が聞かれ、普段は漫画に興味のない筆者も流石にそのあたりの作品と比較されては日常系オタクの血が騒ぐ、ということで、とりあえず読切版のボイコミを見てみたわけですが…なんか違う日常系っぽいようで日常系じゃない。何が違うんだろうか…ってところから色々考えてこの記事を書くに至っています。

 

さて本題。

「ルリドラゴン」(読切版)には

・周りの人にじろじろ見られる

場面がいくつか存在します。

例えばバスの中。

バスの同乗者(見知らぬ他人)からじろじろ見られる

あまつさえ写真まで撮られる

見知らぬ他人からじろじろ見られて、勝手に写真まで撮られる。普通に考えて良い気分になる描写ではありませんし、むしろ疎外感や恥ずかしさといった、負の感情を生み出すシーンとさえ言えます。しかし今作ではこのような、言ってしまえば不快な展開にいくらでも繋げられるような描写が軽く流されることで、いわゆる日常系らしさが演出されます。

学校の中でもそう。

クラスメイトの視線が痛い

一躍注目の的

クラスメイトの注目を集める、といえば聞こえはいいですが主人公本人はとても迷惑そうですし、読者目線からしても共感性羞恥を感じてしまうような心地よくない描写と言えます。しかしこれがさらなる展開へと発展することはありません。むしろこのままクラスメイトに興味を持たれて受け入れられる方向に話は進んでいきます。

このように「ルリドラゴン」には、”負の感情を与えるような描写をしながらそれ以上は何も起こさない”ことで平穏さを生み出すシーンがいくつか見られます。しかし日常系ではこのような描きはあまり見られません。

 

「この町変な人多いしね」の一言で軽く流される(「まちカドまぞく」2話より)

例えば冒頭がそっくりだと話題になった「まちカドまぞく」。実際主人公に角が生えて、父親が人間ではないと明かされる話の流れはそのままそっくり同じです。しかし「まちカドまぞく」では、主人公が周りの好奇の目に晒されることはありません。作中で角の存在を気にするのは仲のいいクラスメイト1人だけ。他のクラスメイトは台詞やガヤの1つもなく、全スルーです。ファンタジーな設定の数々も”変な人多いしね”の一言で、さも当然のことのように受け止められます。

 

魔女バレの瞬間(「ふらいんぐうぃっち」1話より)

他にも比較対象として挙がっていたふらいんぐうぃっち。こちらは主人公が魔女として弘前に越してくるところから物語が始まりますが、やはり主人公が多数の他人の視線にさらされることはありません。1話で”魔女バレ”するのは主要キャラ2人だけ。負の感情とは一切無縁のまま、ごくごく平和に物語は始まります。

 

つまりいわゆる”日常系作品”においては、そもそも負の感情を読者に与えられるようなシーンが全く登場しないわけです。異質なものがあっても、ツッコミが多少入るくらいで基本スルー。もしくはツッコまれるにしても親しいごく少数の人間だけ。知らない人の目線が痛い、沢山の人にいじられて恥ずかしい、なんてシーンは描かれません。

 

ここから言えることは、「ルリドラゴン」は読者に負の感情を与えることを目的とした構成をわざわざ採用しながら、あえて何も起こさないことで疑似的に日常系らしさを演出している、ということです。つまり今作は、そもそも負の感情を一切視聴者に味わわせない日常系作品とは根本的に異なる作品であり、むしろ作品の構造としては、負の感情からカタルシスを生み出すことを目的としたジャンプ作品の文脈に則って作られている作品と言えるでしょう。

 

ということで話の最初に戻ると、筆者が今作について”日常系っぽくない”と感じた理由は、今作がちゃんとジャンプ作品していたから、だったわけですね。

不穏さや不快さを生み出すジャンプ作品らしい要素を残しながらも、そこから何事も起こさないことで平和で平穏な空気を作り出していく。「ルリドラゴン」は既存の日常系とはまた違った、いわば”ジャンプ版日常系”とでも呼ぶべき作品なのではないでしょうか。