『ガールズバンドクライ』のCG表現はなぜ親しみやすいか

『ガールズバンドクライ』のCGのどこに新規性があり、それでいて何故親しみやすいのか、日常芝居を中心に今までのセルルックCGや手描き作画と比較しながら、いち視聴者の目線で分析しました。

アニメ『ガールズバンドクライ』公式サイトより

 

1. セルルックCGとは

『ガールズバンドクライ』(以下ガルクラ)のCGの話に入る前に、まずは既存の日本のCGアニメの表現手法、いわゆるセルルックCGについて見ていきます。

 

ⅰ. 特徴

そもそもセルルックCGとはどのような表現手法なのでしょうか。『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』のライブCGなどを手掛けるCGアニメ制作会社「サブリメイション」の記事*1から一部を引用します。

「セルルックアニメーション」とは3Ⅾアニメを2Ⅾアニメ(作画アニメセルアニメ)の作画に寄せたアニメーションのことです。

セルルックCG=手描きアニメ風にした3Dアニメ、と捉えるのが一番端的で分かりやすいでしょうか。さらに具体的には以下のように述べられています。

3ⅮCGで制作したモデルにあえて主線を加えたり、セルシェーディングという技法を使って影のつけ方や色のつけ方を工夫することで立体感を抑え、作画アニメに寄せた平面的な作画にしたアニメーションのことを指します。

主線」と「セルシェーディング」の2点の特徴が述べられています。

主線はキャラクターの線画を構成する線、主立っては輪郭線のことです。本来3DCGのモデルには主線が存在しませんが、セルルックCGでは主線を描画することによって手描きアニメ風の画面を実現しています。

セルシェーディングとは、CGモデルの立体的な見た目を、影つけの工夫によって平面的な見た目にすることを指します。具体的には、サンジゲンでスーパーバイザーとして働く*2植高正典氏へのインタビュー記事*3にて詳しく述べられています。

キャラクターの質感・塗り方・パーツの配置などいろいろとあるんですが、一番大きいのは影の付け方です。アニメのセル画で行われる影の塗り分けのように、パキッとした陰影をつけることで手描きっぽく見せています。

『3DCGを「日本のアニメ」っぽく。セルルックで業界の常識を変えるサンジゲンへ!#突撃会社訪問』より ©XFLAG

つまりセルシェーディングの根幹をなすのは、線で区切られたきっぱりとした陰影であり、これがいわゆる手描きアニメ風の、セルルックな見た目の画面を作り出しているわけです。

まとめると、手描きアニメ特有の2つの表現、”キャラクターの主線””線で区切られた陰影”をCG技術で再現することによって、3DCGを手描きアニメの見た目に近づける手法がセルルックCGなのです。

 

さらにもう一つ、「リミテッドアニメーションで制作される」こともセルルックCGの特徴として挙げて良いでしょう。

リミテッドアニメーション」とは秒間24枚の絵で動きを表現するフルアニメーションに対して、数コマおき(一般的には3コマに1枚)の絵で動きを表現する技法のことです。元々は日本の手描きアニメで制作にかかる労力を軽減される目的で導入されましたが、今ではこのリミテッドアニメーションこそが手描きアニメ特有のタイミングや動きの魅力を形作っているとされます*4

そしてセルルックCGは、リミテッドアニメーションで動かされることを前提とした表現手法と言えます。

例えば、株式会社ポリゴン・ピクチュアズとスタジオフォンズが主催するセミナーにおいて纏められた、「2017年までのセルルック表現の基礎の振り返り*5なる記事には、2017年までのセルルックCGに関してワークフロー上共通する基礎的な要素が列挙されていますが、その中では色彩設計、背景美術などと並んで「リミテッドアニメーション」の項が独立して存在しています。他の要素がアニメ制作において必要不可欠なものばかりであることを鑑みると、リミテッドなCGアニメを作る技術が、少なくとも17年時点では、セルルックCGアニメを制作する上で不可欠な要素であったことは明らかでしょう。

そしてこの事実は17年以降も何ら変わらず、19年9月公開のフル3DCGアニメーション映画『HELLO WORLD』では「本来1秒間60コマや30コマで出力される3DCGを、あえて1秒間に8コマ〜15コマにまで抜きながら出力している」ことで手描きアニメのように動きに緩急をつけていると明言されていますし*6、24年1月に公開された谷口悟朗監督へのインタビュー記事*7では

谷口:しかもディズニーやピクサーのようなものではなく、日本ならではのリミテッド3DCGアニメと言うべきものを目指す必要があるとも思いました。というのは、日本は海外に比べて資金が足りないのでピクサーやディズニーのようなものを作るのは無理なんです。

(中略)

そのためにはリミテッド表現しかないんです。

と強い表現でリミテッド表現の必要性が強調されています。

セルルックCGはその名の通り「ルック」に焦点を当てた用語ですが、実情としてリミテッド表現は切っても切り離せない関係にあるのです。

 

以上より、一般的なCGアニメとセルルックCGの大きな違いは、

  • 主線がある
  • セルシェーディングによるきっぱりとした陰影
  • リミテッドアニメーションで制作される

の3点あると纏められるでしょう。

 

 

ⅱ. 発展の歴史 -セルルックCGの現在地-

セルルックCGを用いた30分フルCGアニメの起こりは2013年放送の『蒼き鋼のアルペジオ ―アルス・ノヴァ―』(サンジゲン制作)に遡ります。その後10年以上をかけて、セルルックCGは様々な制作会社の多様なアプローチを通じて洗練され、独自の発展を遂げてきました*8。一方で現状の作品群からは、「手描きに寄せる」という方向性でのフルセルルックCGアニメの限界点も見えつつありました。以下、作画アニメとの比較を念頭に、3つの作品に着目してセルルックCGの現在地を明らかにします。

 

・『宝石の国

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オレンジ制作、2017年秋放送のTVアニメ『宝石の国』。今作はCGにしかできない表現でヒットした作品と言えるでしょう。きらびやかな宝石の表現と、自由度の高いカメラワークによる立体アクションは多くの視聴者を引き付け、高い評価を得ました。

今作の強みは、設定がことごとくCG向きであったこと。

  • キャラクターが非人間で柔らかさを求められない
  • 手描きでは表現しづらい宝石の質感を再現性高く描写できる
  • キャラクターの首から下の造形が全員一緒で、同じモデルを使い回せる*9
  • 敵の月人はコピペで量産可能
  • 敵が空から出現するので、主戦場が空中となりアクションの自由度が高い
  • 多くの敵がキャラクターより巨大で、アクションのスケールが大きい

これら"CGが得意とする手法を用いることができる"ないし、”作画では表現しづらいけど、CGなら表現しやすい”設定が多数揃っていたことが、今作がCGアニメでありながら成功した最大の要因と言えます。

一方でこの事実から分かる通り、宝石の国の成功は他作品に容易に拡張できるものではありません。多くの作品はキャラクターが人間で、まして宝石のような無機物ではありません。キャラクターには個体差があって、1人1人に対して専用のモデルを作る必要があります。全ての作品にCG映えするアクションシーンがあるわけではないですし、むしろ大半の作品は作画で描いた方が同じ手間でもより良い戦闘シーンを制作できるでしょう。

つまり『宝石の国』のようにセルルックCGで作る方が合理的とすら言える作品はごく稀であり、大半の作品は手描きアニメで作る方が自然なのです。従来のセルルックCGの枠組みでは、手描きアニメと差別化できるほどの作品は、よほどの偶然が重ならない限り実現できないのです。

 

 

・『D4DJ』シリーズ

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1期が20年秋、2期が23年冬に放送したサンジゲン制作のTVアニメシリーズ『D4DJ』。今作は作画表現に最も寄ったセルルックCGアニメと言えます。上記の動画をざっと見てもらえば分かると思いますが、とにかく日常芝居が作画チック。時に手描きのエフェクトをCGモデルと併用しながら作られた日常芝居は作画アニメのそれと遜色ありません。

こちらは1期の1シーンのスクショですが、手描きアニメ特有の表現である”オバケ”やキャラクターの省略表現を、手描き素材を使って上手く表現していることがよく分かると思います。

一方で、今作の日常芝居におけるCG表現は手描きアニメの手法をそっくりそのまま真似ているにすぎません。確かにセルルックCGとしては新規性のある新鮮な表現ですが、わざわざ手描きの素材を使ってまで手描きアニメっぽいことを表現するくらいなら、最初から手描きアニメで同じことをやった方がより簡単で合理的でしょう。

手描きアニメとは違った良さが出せるから、手描きと比べて制作上の優位性があるからセルルックCGが選択され得るのであって、今作のやり方では日常芝居において手描き作画より優先してセルルックCGを採用する意義がありません。手法を真似るだけでは作画と勝負する土台に上がることすらできないのです。

 

 

・『TRIGUN STAMPEDE』

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オレンジ制作、23年冬に放送されたTVアニメ『TRIGUN STAMPEDE』。『宝石の国』で成功を収めたオレンジが、『BEASTARS』シリーズに続いて送り出した単独元請け3シリーズ目である今作は、CGの強みを伸ばすことによってセルルックCG表現の新たな地平を開いた作品と言えるでしょう。『BEASTARS』から取り入れたフェイシャルキャプチャ技術を、今作では人間の口まわりの表現に導入し、顔の動きを3Dソフト上で作り上げることに成功しました*10

この手法の特徴は”人間の顔の動きをアニメキャラに取り込む”ことにあります。3DCGという手法の強みを活かして、リアルの動きをリファレンスにした、よりダイナミックで活き活きとした動きを実現しようとしたわけです。実際に『TRIGUN STAMPEDE』では作画アニメでは簡単に表現できないような滑らかで滞りのない、リアルな表情芝居が常時実現されています。

一方でそのような芝居は、日本の手描きアニメ表現とは全く方向性の異なるものです。そもそもほとんどの場合、日本の手描きアニメは全くリアルではありません。随所に誇張と嘘が入り混じり、リアルとは全く違った質感のアニメーションに仕上がることが大半です。何気ない動き1つをとっても、大抵の場合は極端にタメツメが効いていたり、動きの途中でリアルではあり得ない”止め”が入ったりします。滑らかで滞りのない動きは滅多にありません。

”手描き作画らしさ”がリアルとは程遠い場所にある以上、CGが自らの強みを活かそうとして現実の動きを取り込む道を選ぶと、動きの面では却って手描きアニメらしさから遠ざかってしまうのです。元々セルルックCGは作画表現に慣れたアニメ視聴者に向けて、手描きに近い視聴感を目指して確立された表現なのですから、作画から遠ざかってしまっては本末転倒です。

 

 

このように

  1. そもそも大半の作品はCGに向いていない
  2. ただ作画表現を真似るだけでは作画アニメと勝負にならない
  3. CGの強みを突き詰めて進化を求めるとセルルックCGの本懐を遂げられない

と、従来のセルルックCGは非常に悩ましい状況に置かれていたわけです。

 

 

何故このような事態に陥ったのでしょうか。

そもそもセルルックCGは「手描きアニメに見た目を寄せる」ことを目的とした手法です。しかし「手描きアニメに見た目を寄せる」ことに執着するあまり、CGに次の2点の制約を課しています。

  • 動きのコマ数をわざと落とす(リミテッドアニメーション)
  • 本来二値で区切れない色の変化を二値で区切る(セルシェーディング)

この2つは、手描きでアニメを作るために編み出された表現であって、CGにとっては本来必要のない技術です。それどころか、技術的なポテンシャルを大きく制限する手法とすら言えます。『宝石の国』の例で見たように、CGのポテンシャルを設定や作風の面から活かすのは困難です。その上技術面でも制約を課しているのですから、これではなかなか作画アニメに勝てるアニメーションは作れません。

一方で、『TRIGUN STAMPEDE』の例には有益な示唆があります。それは「CGの強みを伸ばせば作画アニメと差別化できる」ということです。CGがCGらしく振舞えば、作画アニメらしい視聴感からは離れてしまうという問題点こそありますが、特別な設定なんてなくても作画アニメの真似事には決して収まらないアニメーションが実現できると。

 

そこでガルクラのCGです。

 

 

2. ガルクラのCGは従来のセルルックCGと何が違うのか

結論、ガルクラのCGは従来のセルルックCGの常識を覆しています

東映アニメーション平山理志プロデューサーへのインタビュー記事*11によると、ガルクラのCGは以下の2点が特徴です。

 

  • 東映アニメーション独自の“イラストルック”というアニメーション表現
  • 1秒間に24フレームの絵をつけるフルアニメーション

 

まず前者について、記事中では”イラストルック”「キャラクターデザインのイラストをそのままアニメーションで再現しようとする」試みであると定義しています。従来のセルルックCGが手描きアニメの表現をCGで再現する試みであったのに対し、ガルクラはイラストレーターの描いたイラストをCGで動かすことを目標としているわけです。とはいえこれだけ聞いても、実際にどのような処理が行われているのか、よく分からないと思います。

補足として田中大裕氏の書いた記事*12から一部を引用しましょう。

「セルルック」を支えるかなめは「輪郭線」と「影」にある。TVアニメ『ガールズバンドクライ』は、そのうちの「影」の部分が通常の「セルルック」とは異なるように見えるのだ。

「セルルック」においては通常、キャラクターに生じる影は、明暗境界がはっきりとした、簡潔な塗りわけで表現される。

(中略)

だが、TVアニメ『ガールズバンドクライ』においては、そうした「アニメ塗り」が踏襲されているとは言い難い。

特に衣服に生じる影に顕著だが、総じてやわらかなグラデーションで表現されており、簡潔な塗り分けは意図されていないように見受けられる。

 

つまり陰を線分で区切ることにこだわったセルルックCGとは異なり、ガルクラのCGは影をグラデーションで表現する道を選んだのです。

例えば上記の画像など、影がグラデーションで描かれていることが分かりやすいでしょう。

 

そして後者について。セルルックCGがリミテッドアニメーションに縛られていたのとは対照的に、今作は全カット24コマフルアニメーションで制作されています。

 

従来のセルルックCGは手描きに寄せることにこだわるあまり、”リミテッドアニメーション”と”セルシェーディング”という2つの制約をCGに課すこととなりました。

一方でガルクラのCGは、これら2つの制約から完全に脱却しています。従来の固定観念を打ち破ることで、従来のセルルックCGでは決して引き出せなかったCGのポテンシャルや強みを存分に発揮しているのがガルクラのCGなのです。

 

 

3.ガルクラのCGはどうして視聴者に受け入れられたか

しかし、手法の面からCGの強みを引き出しているというだけでは、ガルクラのCGが手描きアニメに慣れ親しんだ視聴者から受け入れられている理由としては、まだまだ不十分です。『TRIGUN STAMPEDE』の例で示したように、正統にCGの強みを活かすだけでは手描きアニメから遠ざかってしまいす。ましてガルクラのCGの取った表現手法はセルルックCGとは大きく異なりますし、従来の手描きアニメとは似ても似つかないものです。普通に考えれば従来の手描きアニメとは程遠いアニメになってもおかしくありません。しかしガルクラのCGはそうなっていないどころか、従来の手描きアニメ視聴者の目線で見ても親しみやすいものになっています。一体どうしてでしょうか。

それは手法の転換によってCGのポテンシャルを引き出すと同時に、従来のセルルックCGが抱えていた課題を解決するための努力を惜しまなかったからなのです。以下、4つのポイントから紐解いていきます。

 

ⅰ. ”手描きアニメらしい”モーションの追求

TRIGUN STAMPEDE』が何故手描きアニメから遠ざかったのか。それは真っ当にCGの強みを活かそうとして、現実のリファレンスに頼ったからです

ではガルクラのCGはどうしたか。簡単な話です。現実のリファレンスに頼ることなく、力業で手描きアニメらしいモーションを作り上げたのです。しかも従来のようにCGで作った動きをリミテッド化してタイミングを調節するのではなく、フルアニメーションのまま手描きアニメらしいモーションを追求したのです。

そしてフルアニメーションを前提としてモーションを構築したことで、ガルクラは従来のセルルックCGが抱えていた課題を大きく克服しました。具体的に見ていきましょう。

 

従来のセルルックCGの制作順序はこうです。

  • CGで動きを作る→コマを抜く(リミテッド化する)ことでタイミングを調節する

しかしこの手法には致命的な欠陥があります。それは元の動きが作画アニメと根本的に異なることです。

 

CGアニメーションは動きの始点から終点までフルコマで絵が存在します。後に間のコマを抜くなどして調整をかけるにしても、一旦は使うコマから使わないコマまで、全てのコマに何かしらの絵が描かれます。

一方で、手描きアニメは最初からリミテッドで構想されたアニメーションです。間のコマなる概念は存在せず、最初から原画という極度にリミテッドな形で動きが形作られます。

作画アニメでは間のコマがそもそも存在しないため、そのコマ分の動きを完全に無視して好き放題に嘘をつくことが出来ます。一方でCGでは必ず間のコマを想定しなければならないわけですから、間のコマを無視した動きをつけるには、ただコマを抜くだけではダメで、コマを抜いた上でさらに手動で調整して嘘をついた画面にする必要が生じます*13。手描きアニメらしい物理法則を完全に無視した芝居付けや、リアルとは微妙にタイミングのズレた動きを、全コマの動きを想定した後で調整するセルルックCGアニメの手法で実現するのは容易ではありません。

 

そこでガルクラのCGです。ガルクラのCGは最初から最後までフルアニメーションです。後からコマを抜いて作画アニメっぽく、なんてことはしません。最初から作画アニメに近い動きをCGで作ろうとしています

この発想は従来のセルルックCGには、ありそうでなかったものだと思います。リミテッドにすることで手描きアニメに近づけるという思想が先行したがために今までは見向きもされなかった、フルアニメーションCGで”手描きアニメらしさ”を再現するという思考にガルクラのCGは至っているのです。

 

ガルクラのCGが目指す手描きアニメらしい動きの例としては、『らき☆すたOPが最も分かりやすいと思います。

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動きの始発点から終着点までの間が省略されることで実現される、現実よりもキビキビとした、タメツメの効いた印象の動き。身体の動きが止まったあとに、髪の毛や服が残り香のようにふわっと動くモーション

ガルクラのCGが志向するのは、まさにこのような手描きアニメらしい動きです。

 

例えば下記の動画。

現実よりもキビキビとした、タメツメがはっきりとしたキャラクターの動き、身体の動きが急停止して、そこから髪や服が残り香のように動く表現。これはまさに『らき☆すた』OPで見たリミテッドアニメーションならではの表現様式です。

キャラクターが動きの要所要所でピタッと止まるところ、タメツメが極端で間の絵が思いっきり省略された動き、やはりリミテッドアニメーションらしいモーションをしています。

 

言うなればガルクラのCGは確かに見た目上フルコマで動いているのだけど、動きの核がリミテッドなのです。フルコマで作った動きを無理やりリミテッドに矯正して作画に寄せていた従来のCGとは異なり、最初からリミテッドアニメーションと同じ動かし方をすることを想定して作っているのです。だからフルコマなのに違和感が少なく、手描きアニメに慣れた視聴者でも親しみやすい。

コンテ・演出段階で提示された手描きアニメのタイミングと表現手法を、今作はCGで忠実に再現していると言えます。

とはいえこれは当然相当な力業です。CGとしてはリアルの動きを取り込んで動きの下地とした方が圧倒的に楽なわけですから、何一つとしてリアルではない手描きチックなモーションをわざわざつけるというのは、相当に手間がかかる作業なはずです。しかし今作はその手間から逃げず、従来のアニメファンでも見やすい動きをフルアニメーションで作ることに徹しています。

 

もう1つ重要なのが、先述した残り香的表現。この部分に関しては、むしろ手描きよりもCGの方が簡便に物理法則に従った自然なアニメーションを構築できるという点です。

手描きアニメでは髪の毛の細かな揺れを1つ1つの芝居に対して作画するのは非常に大変です。『らき☆すた』OPのような丁寧な作画は、昨今のTVアニメでもそう多く見られるものではありません。

一方、ガルクラはフルコマCGの利点を活かして、何気ない仕草の1つ1つに付随する、髪や服の自然な揺れ感を漏れなく描写しています。現実の物理法則が通用しないキャラクターの芝居とは異なり、物理法則を適用した動きがむしろ要求される髪の毛や着用物のアニメーションでは、CGの強みを存分に活かすことができ、手描きアニメをある意味では超える表現を実現できているのです。

作画ではできない、でもCGならできるさらに見栄えする表現を生み出せる。アニメーション表現で作画アニメを明確に上回るというのは、これまでのリミテッドを前提としたセルルックCGではごく一部の作品、あるいは場面でしか実現できなかったことです。

 

従来のセルルックCGは、一部の特殊な作品を除いて、殆どが作画の劣化品としてのポジションにとどまり、かといって劣化品のポジションを脱しようとしても、却って作画から遠ざかるばかりでした。しかし今作はあえてリミテッドアニメーションから脱却してフルアニメーションで制作するという挑戦、そして動きそのものを作画に寄せるという大胆な力業によって、作画に近い視聴感を持たせながらCGの強みを存分に活かした従来のセルルックCGの枠組みでは決して実現できなかったアニメーションを、普通の人間を扱った普遍的な設定の作品において実現しているのです。これがガルクラのCGの最も革新的な点であると言えます。

 

ⅱ. CGの常識を覆す表情のバリエーション

日本のCGアニメの課題としてよく挙げられていたのが”表情芝居”です。例えばフル3DCGの現状を評したリアルサウンドの2021年の記事*14には、CGアニメの表情に関する現状が以下のように記述されています。

 ただ、どういったテイストであっても共通して言われがちなのが表情の乏しさだ。日本の2Dアニメや海外の3DCGアニメを見慣れていると、どうしても表情がのっぺりと見える。口の動きにしてもそうだが、キャラクターを正面以外から捉えた時も顔の見え方にも違和感を感じてしまう。体の動きはCGアニメが現場で使われるようになったばかりの頃と比較するとよくなってきているが、どうして表情ばかりが取り残されがちなのだろうか。

アニメーションを作る場合、キャラクターのデザインに加えて、そのキャラクターがどんな表情を作るのかを描いた表情集というものが用意される。2Dならばどんなにデフォルメされた表情でもかき分けることが可能だが、フル3DCGアニメーションの場合、表情の変化を想定して顔のモデリングのポリゴンの分割をあらかじめ行っておくだけでなく、口や目や眉、鼻といった各要素を変形させるモーフターゲットのバリエーションのストックをできるだけ多く用意しておかなければならない。

 表情を豊かにするならばこの工程が重要になってくるが、作業時間と作業できる人間が少なければ必然的に作業は簡略化されてしまう。日本の制作現場は常にスケジュールとの戦いのため、口パクなら母音、大口、小口、表情は喜怒哀楽とプラスαが用意され、あとはカットで必要とされているものを特別に作るといった対応策が取られており、ひとつの作り込んだモデルを全方向に使い回すというのが難しい状態だ。

つまり、CGアニメにおいては手描きアニメにおける表情集のようなものをモデリングの段階で想定して予め変形のバリエーションを用意せねばならないのに、スケジュールや人員の問題でそのようなことが十分に出来ず、後になってカットごとに必要とされる表情を個別で作って対応せざるを得ない状況にあったのです。これでは当然十分なクオリティは保証できませんし、元々変形のバリエーションが少ないのですから、表情が固くなるのも当然と言えます。

 

一方、ガルクラのCGは驚くほど表情が多彩です。

「ぎゅう、どん!」で顔をしかめてから驚く一連の動きの目眉口の表現や若干頬が膨らむ表現、それに吹き出す桃香さんの3みたいな形の口、牛丼をもぐもぐする口の動き。どれも従来のCGアニメではなかなか見られなかった表現です。

このシーンに関しては、もはや作画アニメでも実現するのは難しいレベルで細かい表情の切り替わりが実現されています。

これらのシーンを見て分かることが2つ。まずモデルの自由度が非常に高いこと。CGで多彩な表情を実現するには予め変形のバリエーションを用意しておくことが必要なのは先に述べた通りですが、今作のCGは見るからにそれを実現できています。各パーツ単位での自由度が高いのもそうですし、各パーツ間の連動や配置、そして顔の輪郭の変化まで、これらすべてを自由自在にコントロールできる豊富な変形のバリエーションが、豊富な表情作画を実現しています。

そしてもう一つは、後から用意されたであろう素材の数も非常に多いことです。元のモデルでは明らかに表現できないであろう口の形や目の表現が、至る所に見られます。何なら1話の次のシーンの2カット目のように、このシーンでしか使われていない素材すらあります。

これは相当に手間のかかる作業なはずです。なにせ従来はモデルの自由度が低いから必要とされていた仕事です。事前に自由度の高いモデルを完成させている今作には不要な手間とすら言えます。にも拘わらず今作は、各話数の演出意図(あるいは作画修正)に合わせてバリエーション豊かな素材をさらに追加で制作しています。1回しか使わないような素材でも必要とあらば制作する労力を厭いません。そこまでしてでも、従来課題であったCGアニメの表現の幅の狭さを打ち破ろうと、作画アニメに近い視聴感を実現しようとしているわけです。ここにガルクラのCGの凄みが表れています。

そしてこの恐ろしいほどの表情に対する手間のかけ方は、今作の表情芝居をある意味では手描きアニメを超えるレベルのものにまで昇華させています。フルコマならではのテンポ感がキャラクターを生き生きと描き出す。CGならではの自由度の高い表現がよりコミカルな絵面を作り出す。高密度極まりない表情芝居は手描きアニメですら滅多にお目にかかれないようなレベルであり、フルアニメーションCGの強みが存分に活かされています。そしてこの表情芝居の密度が、キャラクターを、ともすれば作画アニメ以上に生き生きと、魅力的に見せているのです。

 

アニメにおいて、CGは手描きと比べて楽にアニメーションが作れるというイメージが一般的かと思います。しかし本当に良い映像を作ろうとする限りは、作画でもCGでもそれ相応の手間がかかるのは同じことです。

CGならカメラワークを自由に動かせるし、キャプチャした動きを用いて大きく労力を削減することも可能ですが、代わりに日常芝居では安易に自由度を高められないから、ある種不合理ですらある膨大な手間をかけないと作画アニメと勝負できる芝居は実現できません。逆に作画アニメは表現こそ多彩ですが、ライブシーンなど純粋な物量が要求されるシーンはひたすら地道に枚数を描いて作り上げる必要があります。

CGはただ描く以外に道のない手描きアニメと比べて、様々な方法で楽ができる手法ではありますが、真に良いものを作るために地道な努力が必要なのは作画アニメと一緒です。その手間と努力から逃げなかったことは今作の最も称賛すべき点の一つでしょう。

 

 

ⅲ. 硬さを感じないキャラクターモデリング

②と被る部分もありますが、独立させて書きます。従来のセルルックCGにおいて、人体特有の弾力感をセルルックと両立して実現するのは至難の業でした。例えば、『宝石の国』や『シドニアの騎士』がCGアニメとして成立した要件について、東宝の武井プロデューサーはキャラが生身のヒトでなかった点を挙げています*15。これは宝石の国が放送する2017年より前の技術水準での話ですが、それだけ人体をCGで描くというのは技術的に困難が伴うことであったわけです。

一方ガルクラでは、従来のセルルックCGでは考えられないほど柔軟な動きが実現されています。以下の動画では口の揺れでほっぺたのモチモチ感が表現されていますし、

次の動画ではほっぺたが引っ張られて餅のように伸びています。

このような表現は本来デザインを崩しやすい手描きアニメが得意とするところです。しかし、ガルクラはフルコマCGアニメーションの枠組みで、モデルの自由度を高めることによってこのような崩しの表現を実現しています。しかもフルコマで切れ目なく動いているのですから、弾力感や柔らかさの表現度合いに絞って言えば、もはや手描きアニメを超えている節すらあります。

 

 

ⅳ. その他セルルックCGの課題を克服する様々な工夫

手描きアニメに比べて、セルルックCGが課題としていたところは他にも様々あります。しかし、ガルクラはCGのポテンシャルを最大限に引き出す技術選択と努力を惜しまない制作体制によって、上では挙げられなかったセルルックCGの課題の多くを克服しています。

一例として、『機動戦士ガンダム ククルスドアンの島』のモデリングディレクターなどを務めた澤田覚史氏のブログ*16からいくつか引用してみましょう。

①髪や布の表現

引用元:アニメ表現された3Dキャラの違和感の理由について考えてみた

上記画像にあるように、髪や服などの表現に関して、作画っぽい表現はできているが、作画と比べて解像度が低いのが課題であると述べられています。

一方でガルクラは、そもそも影がグラデーションなので服の皺の表現には作画ほどのディテールの細かさは求められません。髪の毛や服のモデリングは相当に優秀で、過度に束っぽくなく、自然ななびきが実現されています。

 

②影付けやハイライト

「これが適切にコントロールされている作品の方が少ない」と文中では述べられています。しかしこれはセルルックCGの線分で影を区切る方法に関しての話です。ガルクラのCGはそもそもグラデーション影なので、線分で影を区切るが故に生じる違和感からは完全に脱却しています。

 

③寄りでも引きでも情報量が一定

引用元:アニメ表現された3Dキャラの違和感の理由について考えてみた

作画では寄りのカットと引きのカットで情報量が違うが、CGでは常に一定であり、それ故に物足りなさが生じていると述べられています。

一方でガルクラのCGは、引きのカットと寄りのカットで目のハイライト表現を使い分けています。寄りのカットでは目のハイライト表現がより複雑なモデルを使用することで、従来のセルルックCGでは弱点であった寄りのカットの弱さを克服しています。

左:引き 右:寄り

④表現の幅が狭い

作画と比べて記号表現やデフォルメ表現を入れ込むことが難しく、全体に変化に乏しい画面になってしまう点が課題として述べられています。

しかしガルクラのCGは前述の通り、作画にも引けを取らない表情の多彩さが売りです。このような課題は完全に克服していると言えるでしょう。

 

このようにガルクラのCGは様々な工夫と努力によって、従来のセルルックCGが抱えていた課題を完全に克服しているのです。

 

4. まとめ

従来、日本のCGアニメ技術は手描きアニメの代替品として位置づけられることがほとんどだったように思います。実際普通の作画アニメでの利用例は、手描きで描くのが難しいもの(馬に引かれた馬車やアイドルのダンスシーンなど)を仕方なくCGで代用する場合が大半です。できることなら全てを手描きで描きたい、「手描き>CG」だという思想は長らく揺るがなかったと言ってもいいでしょう。

フルCGアニメはそのような立場からの脱却を目指してCGの可能性を広げる枠組みですが、見た目を作画に近づけることを目指すセルルックCGでは、明確に作画を超えたと言い切れるようなCGアニメーションは思うように実現できず、成功例はライブシーンやロボ戦闘などの限られた場面、あるいは特殊な設定の作品に限られていました。

一方でガルクラのCGは、手描きらしい視聴感を保ちながら明確に手描きアニメとの差別化を図りました。フルアニメーションという日本の手描きアニメでは絶対に選択されない手法を用い、グラデーション影という日本の手描きアニメでは決して採用されることがない表現を採用し、それでいて動きの核は手描きアニメに寄せることによって、従来の手描きアニメに見慣れた視聴者にも見やすく、かつ新鮮で、作画アニメでは得られない快楽が得られるアニメーションを日常芝居で見事に実現してみせました。

 

従来のセルルックCGは手描きアニメの見た目を物理的に再現しようとする試みでした。作画アニメは影が線で区切られているから、CGでも影を線で区切る。作画アニメはリミテッドアニメーションだから、CGもわざとコマ数を落としてリミテッドにする。しかしそれは作画に寄せようとする意識のあまり、CG本来の強みを損ねる行為でもありました。

一方で、ガルクラのCGは手描きアニメの見た目を印象で再現しようとしています。影は線で区切られていないし、コマ数は全く落とされていない。でも表情や動かし方を工夫すれば、作画アニメとそこまで大きく乖離した印象にはならない。今までのアニメの延長線上にある表現として受け止めてもらえる。そのような確信があった……かどうかは分かりませんが、少なくともこの挑戦的な試みが多くの人々に好意的に受け止められているのは紛れもない事実です。

何より、ガルクラのCGはCGアニメの本来あるべき自然な手法で勝負できています。アニメ業界が長らく手描きアニメに寄せることに固執し、CGの強みを見失いつつあった中で、ガルクラの制作陣はCGの得意を伸ばして、CGの強みを最も活かせる形で、手描きアニメと同種の視聴感を持ちながら手描きアニメ以上の魅力を持ったアニメーションを実現してみせたのです。

 

今作が示した可能性は非常に大きいものです。なにせ従来人間を描くには不向きとされてきたCGが、ましてキャラの魅力が最も重要視される女子高生の青春を描いた作品において、豊かな表情芝居と柔らかな人肌の表現によって、ともすれば作画アニメ以上にキャラクターの魅力を引き出しているのです。作画アニメでは敵わない強みを持ったCGアニメがごく普遍的な設定の作品でも作れるようになったのです。

今までCGが優位とされるジャンルはロボやメカなどの硬い無生物、あるいはダンスや演奏シーンなどの複雑で絶え間ない動きが要求される分野に限られていました。しかしガルクラのCGは、演奏シーンで優位性を発揮するのみに留まらず、作画が優位とされてきた日常芝居という分野にもCGで殴り込み、CGの強みを明確に打ち出して、手描きでは実現できないアニメーションを実現して見せたのです。これは明確なCGの進歩であり、革命です。

 

従来は日本のCGアニメに対して批判的だった海外アニメ視聴者からの反応が良いことも、今作の大きな特徴と言えます。1話放送後のツイートには万バズしているものもありますし、

公式配信はフランスと韓国とインドネシアでしか行われていないようですが

www.animenewsnetwork.com

(フランスとインドネシアで公式配信が行われている旨の記述あり)

Anime Trendingが公開しているランキングにおいて首位に立つなど、驚異的な人気を見せています。

 

CGの本場であり、日本人よりもずっとCGに対する審美眼が厳しい海外において、日本のCGが評価されていることは間違いなく画期的なことであり、日本のCGの未来にとって大きな希望となりえるでしょう。

 

最後に『ガールズバンドクライ』のますますのヒットを願って、そしてガルクラを機に日本のアニメCG全体のレベルが向上し、さらなる技術革新が進み、国内でヒットしながら海外にも自信を持って送り出せるCGアニメが増えることを願って、本文を締めようと思います。

 

*1:セルルックアニメーションっていったい何? - 株式会社サブリメイション:3DCGアニメーションの制作会社

*2:インタビュー当時

*3:3DCGを「日本のアニメ」っぽく。セルルックで業界の常識を変えるサンジゲンへ!#突撃会社訪問

*4:リミテッドアニメーション | CG・映像の専門情報サイト | CGWORLD.jp

*5:Film Production Pipelines and Artist Techniques

*6:トゥーンレンダリングのフル3DCGアニメ『HELLO WORLD』物語と現実を結びつける仕掛け - メディア芸術カレントコンテンツ

*7:谷口悟朗が考える、日本アニメが世界で戦うために必要なもの 「手描きとCGを融合させる」(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース

*8:【編集Gのサブカル本棚】第28回 セルルック3DCGアニメ、10年の到達点 : ニュース - アニメハック

*9:

フルCGアニメーションの限界に挑戦!TVアニメ『宝石の国』スタッフが語る、かつてない意欲作ができ上がるまで(1) - デザイン情報サイト[JDN]

*10:オレンジ流フェイシャルの最前線『TRIGUN STAMPEDE』(1)R&D編

*11:『ガールズバンドクライ』に結集した東映アニメーションのCG技術 平山理志Pが狙いを語る|Real Sound|リアルサウンド 映画部

*12:3DCGアニメの新たな文体──『ガールズバンドクライ』にみる映像表現の特異性 - KAI-YOU.net

*13:Film Production Pipelines and Artist Techniques

*14:日本のフル3DCGアニメはなぜ酷評されるのか 現在の課題と今後の行方を占う|Real Sound|リアルサウンド 映画部

*15:フルCGアニメーションの限界に挑戦!TVアニメ『宝石の国』スタッフが語る、かつてない意欲作ができ上がるまで(1) - デザイン情報サイト[JDN]

*16:アニメ表現された3Dキャラの違和感の理由について考えてみた