『スキップとローファー』OPのダンスシーンについて~カメラの不在が引き出す魅力~

TVアニメ『スキップとローファー』(以下スキロー)のOPについて、従来のダンスOP・EDと比較しながら、その魅力に迫ります。

 

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絵コンテ・演出:出合小都美

作画監督:天野和子

 

 

 

近年のダンスOPでまず思いつくのは『彼女、お借りします』のOP。1期2期どちらもダンスが取り入れられており、スマホのカメラに向かって踊っているような演出が為されています。

 

ヲタクに恋は難しい』のOPもスマホ画面に向かってのダンスが特徴的ですね。

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他にも『ハナヤマタ』OP、『パリピ孔明』OPなどでは固定カメラに向かってのダンスシーンがありますし、『うる星やつら』OP1でもステージ上で踊るラムの姿が見られます。

 

EDでは『涼宮ハルヒの憂鬱』ED1や『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』3話ED、『呪術廻戦』ED1などが挙げられるでしょうか。いずれも単一のカメラの前で踊っているかのように描かれているところが共通しています。

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このように、今までのアニメにおけるダンス演出は”キャラクターがカメラの存在を認識している”ことを前提としたものが大半でした。”普段は人前で踊らないキャラクターがなぜ踊るのか?”という問いに対して、”カメラが回っているから”という答えを用意しているわけですね。そして当然、キャラクターの目線はカメラの方を向いている。

さらに重要なのは、このようなOP・EDにおいてキャラクターは見られることを意識して踊っているということです。描かれているのは見られることを想定して、多少なりともカッコつけた、ある種わざとらしい姿であり、キャラクターの”素”や”自然体”を映し出そうとしているものではありません(キャラクターの個性は反映されている場合もありますが)。

 

一方、スキローのOPにはカメラ目線のカットが1つもありません。つまりキャラクターがカメラの存在を一切意識していないのです。目線はカメラの方を向くことなく、殆どはお互いのキャラクターに向かっていますし、カメラや、その向こうにいる視聴者に向けてのアクションも一切ありません。これは従来のダンスOP・EDの中と比べてもかなり特徴的です。

どの場面を切り取ってもカメラ目線のカットはない

つまり従来はカメラの前で踊っていたキャラクターたちが、スキローのOPにおいてはカメラのない空間で(少なくとも本人たちはそう認識して)踊っているわけです。

 

 

そしてこれが、スキローのOPダンスシーンの魅力を支える最も大きな要因と言えます。

従来のダンスOP・EDは、カメラで撮っている=人に見られていることを前提にしていたため、キャラクターの個性までは映し出せても、キャラクターが素で見せる、新鮮でありのままの表情を切り取ることは困難でした。

しかしスキローのOPにおいてはキャラクターがカメラに撮られていません。すなわち(キャラクター目線では)2人だけしかいない空間を構築することに成功しているのです。今までは他の人に見られていることを前提に動いていたキャラクターが、その縛りから抜け出してのびのびと動くようになる。すると他の人に見せることのないありのままの表情や仕草を切り取れるようになります。作為のない、自然体の2人の姿を画面に映し出せるわけですね。

 

例えば、転びそうになって支えてもらって照れる姿。

例えば、つつきあいながら笑う表情。

このようなみつみの姿は、まさにそこにカメラも撮影者もいないからこそ出てくる自然なものだと言えるでしょう。そしてその自然体の2人の幸せそうな姿にこそ、我々は心を動かされるのです。

そしてこれは同時に、演出上の工夫の賜物とも言えます。意図された振り付けとは異なるナチュラルな仕草を随所に取り入れることで、通常のダンスシーンでは描けないような、等身大のキャラクターの姿を描き出すことに成功しているわけです。言うなればドラマのNGシーンのような、隙が見えるカットをあえて完成版で使っているという感じでしょうか。

 

また、カメラの存在を空間から排除したことで、スキローのOPでは従来固定されることの多かった(せざるを得なかった)視点を何の制約もなく動かすことができています。これによって先述のような、キャラクターの生き生きとした表情を自在に切り取ることに成功しています。*1

こうした自由なカメラワークを取れば、その分作画は大変になりますし、ダンスを分かりやすく見せるために、コンテの工夫も必要となってきます。しかしそういった障壁を乗り越え、こうして素晴らしいOP映像が公開されるに至っているのは、ひとえに制作陣の工夫と努力によるものと言えるでしょう。

 

 

さて上でも軽く触れた通り、ダンスとは本来キャラクターがするには不自然な行為であり、だからこそ”何故踊るのか”という問いに対する答えとして、カメラの前という特殊なシチュエーションを持ち出す必要があったのでした。しかし、スキローのOPはそのような特殊なシチュエーションを使わずに、むしろカメラの排除と演出上の工夫によって、「自然体のキャラクターを表現する手段としての”ダンスシーン”」を成立させています。

言い換えるなら、従来のダンスOP・EDが「キャラクターを踊らせること」そのものを目的としていたのに対して、スキローのOPは「ダンスを通じてキャラクターの自然体の姿を描き出すこと」を目標として作られているとでも言えばいいでしょうか。普通は違和感の出るシチュエーションをあえて逆手にとることで、自然体の表情を強く印象付け、キャラクターと、その関係性を魅力的に見せるためのより鮮烈なシークエンスへと変貌させたのです。

 

 

まとめると、従来のダンスOP・EDは「キャラクターを踊らせる」ことそのものを目的にしたものであり、キャラクターはカメラの存在を意識しながら踊っているように演出されていました。そしてカメラの前(=人前)で踊るというシチュエーションの性質上、自然体のキャラクターの姿を映し出すことは困難でした。

しかし『スキップとローファー』のOPは、あくまでも「ダンスを通じてキャラクターの魅力を引き出す」ことを主眼に置きました。従来は”目的”であったダンスを、キャラクターのありのままの表情を映し出すための”手段”へと転換したことで、従来のダンスシーンを、等身大のキャラクターの魅力を強く印象付けられるシークエンスへと変貌させたのです。そしてカメラの存在を排除したことでカメラワークも自由度が増し、アニメーションとしての魅力も飛躍的に高まりました。

”カメラの不在”が”ありのままのキャラクターの魅力を引き出す”。『スキップとローファー』のOPは、キャラ表現のお手本のようなアニメ映像と言えるのではないでしょうか。

 

 

 

(あとがき)

こうしたダンスOPが過去に全くなかったかと言えばそういうわけでもなく、例えば『吸血鬼すぐ死ぬ』OPも趣向こそ異なれど、”カメラを排除して、キャラクターの魅力をダンスを通じて描き出す”という意図としては似たような性質を持ったOPと思います。

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その上でスキローOPの革新性を挙げるとするなら、それはやはり”青春もの”という繊細な心の機微の表現が求められるジャンルにおいて、ダンスを通じて男女間の関係性を見事に表現できていることではないでしょうか。

 

 

 

*1:余談ですが、このような自由なカメラワークは、むしろアイドルアニメなどで多用されてきたやり方と言えます。踊ることが自明であるが故に、ライブシーンなどを想定して自由なカメラワークを設計できるわけですね。

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スキローの場合、作風として決して踊ることが自明な作品ではありませんが、様々な工夫を通じて、”この2人なら素でこういうダンスを踊っていてもおかしくない”と思わせることができているからこそ、こうした演出も違和感なく受け入れられるのかもしれません。